大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和37年(オ)217号 判決

東京都目黒区上目黒三丁目一七七二番地

上告人

佐々木正泰

東京都千代田区霞ヶ関 人事院ビルディング内

被上告人

中央選挙管理会委員長 大浜英子

右当事者間の最高裁判所裁判官国民審査の効力に対する異議事件について、東京高等裁判所が昭和三六年一〇月一六日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由第一点について。

論旨は、憲法七九条二項の国民審査は、裁判官任命の手続の一環として行われるものであつて、解職の制度でない旨を主張し、この点に関する原判示を非難する。しかし、国民審査の制度が根本において解職の制度であることは、昭和二四年(オ)第三三二号同二七年二月二〇日大法廷判決(民集六巻二号一二二頁)の判示するとおりであり、論旨のるる述べるところは独自の見解であつて、到底採用できない。

同第二点について。

論旨は、要するに、国民審査に付すべき裁判官が複数であり、連記によつて投票せしめる場合には、投票者が一名の裁判官についてのみ罷免投票を行い、他の裁判官については棄権しようとしても、他の裁判官の氏名について何等の記号をも記入できない結果、その裁判官については罷免を可としない投票となる、かかる制度は棄権の自由を奪うものであつて、憲法一九条、二一条に違反すると主張する。

この点について、原判決は、そのような場合には、その裁判官の氏名について棄権の趣旨を表示して投票すればよく、そうすれば、その投票はその者について棄権票として取り扱われて、棄権の自由は奪われないというのである。しかし、前記引用の大法廷判決もいつているように、投票紙と棄権という文字を書いてもそれは余事記入にならず、有効の投票と解すべきものであるとの見解は、現行法の下では無理といわざるをえない(最高裁判所裁判官国民審査法二二条一項二号参照)。右大法廷判決の趣旨によると、国民審査は、積極的に罷免を可とする者が多いかどうかを投票によつて定める制度であるから、積極的に罷免を可とする意思を有しない者の投票は、罷免を可とするものでないとの効果を発生せしめても、何等その者の意思に反する効果を発生せしめるものではない。それ故、思想および良心の自由や表現の自由を制限するものでないこと、もちろんである。

しかも、本件国民審査において、現実に、棄権の趣旨を表示した投票が存在したわけではなく、原判決も、そのような投票の効力を審究した上で、本件国民審査の効力を判断したものではないから、原判決の前記説示の誤りは判決に影響をおよぼすことの明らから法令違背と認められない。それ故、論旨は採用できない。

同第三点について。

論旨は国民審査の投票所と総選挙の投票所とは、同一の入口、同一の出口であるため、選挙の投票には来たが審査の投票を棄権したい者にとつては、審査の投票所に入らない自由、出頭しない自由を奪われ、棄権の自由も奪われることになる、かゝる施設による審査を是認した原判決には憲法一三条の解釈適用を誤つた違法があると主張する。

しかし、所論のような施設は、むしろ投票人の便宜のためのものであつて、たまたま、審査投票だけを棄権したい者がある場合に、その投票を強制されたという事実は原判決も認めていないし、投票用紙の受け取り方を強制された事実も認められていないのであつて、所論のように、棄権の自由が奪われたということはできない。また、それらの者が審査の投票所を通過することになつていたからといつて、出頭を強制されたものといえないこと、もちろんである。所論違憲の主張はその前提を欠き、採用できない。

同第四点について。

論旨は、原判決には憲法一九条、二一条の解釈適用を誤つた違法がある旨を主張するのであるが、要するに、国民審査制度の本質についての上告人独自の見解を前提としているものであつて、採用の限りでない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 斎藤朔郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例